会社を辞めた時の話でもしておく。
会社を辞めた時の話をします
と、その前に。
はてなブログの使い方がいまいちわかっていないのだが、意図せぬ部分が太字になっていたりするのは何故なのだろう。
さて。
今の時期SNSでは新社会人の方々へのエールやら上司の倒し方やら、まあそういうのが色々と溢れているタイミングである。
同時に、入社式だが既に辞めたいという言葉も勿論目にする。
ぶっちゃけ辞めてもいいと私は思う。
3日とかで辞めて、第二新卒でもいいじゃんて。
私は所謂新卒で入社した。
結果的に一年経たずに辞めた。
もっと早くに辞めるべきだったと後悔している。
いっそ入社式に出なければよかった。
今でも本気でそう思っている。
何年か経った今でも、会社に対する怒りや憎しみは消えていない。
けれど、もっと早く辞めなかった私の責任であり、私の落ち度であるのもまた事実だ。
このブログを書くにあたり、過去の私には成仏してもらおうと思う。
早い話が、病んで辞めた。
そして今でも正社員になることが怖くて、正社員ではないし、正直あまりなりたいとも思えない。
ボーナスが貰えるのは大きいけれど、病んでまで貰いたいものでもないし、精神の健康の方が大事だ。
病は気からというように、精神が病むと体も病みます。
それでは本題に入ります。
会社を辞めるまでのクソみたいな思い出を綴る。
三月に入社前の説明会があり、その時点で辞めたかった。
私も悪いのだが、内定式以降に内定を貰った為その説明会では全くのアウェイ状態。
仲の良いクラスに放り込まれた転校生。
本当に苦痛だった。
それから入社式までの数日間は毎日、入社を辞退するか否かということばかり考えていた。
入社式の朝まで悩んだ。
あんな所に行くのなら第二新卒として就活した方がマシ。
好きな商品扱ってるお店でバイトした方がマシ。
そんなことばかり考えていた。
入社前から既に、転職サイトやら就活サイトに登録していた。
けれど、お祝い金を頂いたりスーツを作ってもらったりしてしまった手前、動くことが出来なかった。
親に迷惑をかけたくなかった。
悲しませたくなかった。
この時点で既にリスカデビューを果たし、腕には浅い傷が多数あった。
でもそういう傷って案外すぐ治るし、まだ長袖の季節なので誰にもバレてはいなかった。入る前からこんなんじゃ駄目だ、誤魔化して頑張るって決めただろ、と言い聞かせ手帳に決意めいた物を書いたような記憶もある。
入社式の当日は案の定というか、勿論というか、腹を下した。
式の間もずっとぶっ倒れそうだった。
誰にも心配される事なく終わったのでたぶん顔には出ていなかったのだと思う。
昼食会なるものがあり、お偉いさん方と会食をした。
申し訳ないがほとんど残した。
そもそも人と食事を摂ることが苦手で、酷い時期は飲み物だけで精一杯だった。
これはまた別の話だが。
その後、新卒研修の合宿始まった。
入ってしまったからには仕方ないので頑張ろうと自分に言い聞かせていた。
合宿の間も勿論ほとんど食事は喉を通らない。
そもそも食事の時間はほとんどなかった(笑)
「私は女優」そう言い聞かせて優等生になりきって、合宿の日々を過ごした。
唯一楽しかったのはレクリエーションで球技をやったこと。
あれだけは楽しかった。
最終日に社に戻り、社長のご高説を拝聴せねばならなかった。
私はその際爆睡をやらかした。
後から聞いたのだが、社長がガン見していたらしい。
その時私は、どうせ辞めるしいいや、と既に思っていた。
流石に同期とは馴染んでいたがやっぱり辞めたかった。
その後は支店に配属になり研修が始まった。私の配属先は比較的緩く、定時(と言っても10時間労働が通常)には帰れていたので他の人たちよりは少しはマシだったと思う。
支店研修の頃はなんとか頑張れていた。
前振りが物凄く長くなったがここからが本気で辞めたかった数ヶ月間の話。
研修期間の終了が早まり予定より早く本配属となった。
配属先は入社時の部署と同じで安心したが、部署側は我々の受け入れ体制が整っておらず大変だったと思う。
しかしその前に、休みのはずだった日が支店に出勤になった。
死ね。
まじでふざけんな。
話を戻すが、一応専門職なので仕事を始めるには色々と準備が必要だった。
パソコンと机とソフトはあったのでインストールしたりだけの一日だったような気がする。
しかし一緒に配属になった奴が意識高すぎて、先輩達がまだ仕事してるのに帰れなくない?みたいな奴だった。
やることなんて説明書読むくらいしかないのに何故か二時間くらい残業した。
死ね。
無意味な残業などこの世からなくなれ。
その一ヶ月は研修に行ったり説明を受けたりでバタバタと過ぎ去った。
その後、私は何故か初夏にも関わらず重い夏風邪をひいてしまった。
咳は真冬の風邪のそれだし、毎日熱っぽくて頭はぼーっとするし、咳き込みすぎて嘔吐しそうになるし。
とにかく大変だった。
故意ではないにしろ、こんなにもうるさい咳をしているのに誰一人として何も言ってこない。
これが社会人というものなのか、とその時は素直に思った。
そしてこのめちゃくちゃきつかった夏風邪の頃にやった仕事が、私が本気で退職しようと思ったミスが起きている仕事である。
夏は夏でつらかった。
毎日毎日わけのわからない仕事が沢山降りかかってくる。
週末は支店のイベントに駆り出される。
計五日あるはずの夏休みは実質二日くらいになってしまう。
他の人、他の会社はもっときついとか、そんなの関係ないと今でも思う。
他人に私の体の具合なんてわからないでしょう?
50m走ったら辛い人もいれば、5kmくらいは余裕な人もいるでしょう?
だから個々人の辛さを他人と比べる事など無意味だと思う。
あとなんかとにかく怒られた。
もう流石に覚えてないけど。
新卒で入ってきた人間がいきなりそんなことわかるわけないだろ。
お前らは入った時から一人前だったんですか?と今でも問いたい。正に童貞にプロの技を求めるそれである。
大きなミスが発覚したのが秋のことだった。
それは入社後二つ目の仕事であった。
その大きなミスは全て私一人の責任の如く話が進んだ。
未だに納得はいかない。
二重、三重のチェックをしているのに何故?
どうして私だけが悪いの?
チェックした人は当然上の立場の人間なのに彼らには微塵も非はないの?
初めての仕事はほとんど教育係の人がやってくれたようなものだった。
その次にやった仕事が大きなミスが起きた仕事。
実質初めての仕事じゃないか?
そんなのよく新卒一人に任せるね?
そしてよくも私一人に擦りつけてくれたな。
まあ、そこまではいいんだ。
ミスをしたのは事実。
その仕事を私がやったというのも事実。
納得はいかないが、事実は事実である。
未だに思い出しては殺したくなるし死にたくなるのが、部長とか課長とかそういう立場の人間が、ヒソヒソと私から見える、絶妙に聞こえる、そんな範囲でその件について話していたこと。
上の人間というか、いい年した大人のやることか?
死ねよまじで。
トイレに行っては泣いていた。
それからはもう毎日のようにトイレで泣いたし、腕を掻きむしった。
嘆きのマートル以上やな、とか考える余裕がまだあった。
別件で呼ばれた時、相手がお怒りで答えようにも声が出なかった。
声を出したら涙が出ることはわかっていたからだ。
でも何か言えとうるさいから口を開いたら嗚咽しか出てこなかった。
そんな醜態を晒してしまったということもあり毎日が地獄だった。
上記のやらかし以降は日々、地獄だった。
私と一緒に部署に配属になった新卒は色々あってパートのババアもといおばさんたちのお気に入りだった。
気に入られすぎていて、例えそうでなくても自分が嫌われているという錯覚を起こすには十分なほどにお気に入りだった。
病んでいた私が、あー、死ねばいいのにと、今でも思い出してはそう思ってしまう出来事No. 1は、
私に聞こえるところでそいつだけ昼飯に誘う事案。
そんなのが二回、三回と続いた。
別に誘ってほしいわけではない。
見えないところでやれ。
聞こえないところでやれ。
クソババア供は頭も悪いんですか?
別に話しかけてほしくはなかったけれど、そいつに笑顔で話しかけたり茶々入れたりしているのも視界に入る全てが苦痛だった。
数ヶ月後の話になるが、辞めると知ってなのか私も一緒に昼飯に誘われた。
断ってやろうかとも思ったが円満退社と己に言い聞かせ一緒に行った。
あと社長にもシカトされまくった。
夕方頃に我々の部署に現れて雑談をするのが毎日ではないにしても日々あった。
みんなに話しかけるのに何故か私の頭上を通り越して言葉が交わされる。
交わされまくる。
私一人だけ、何故か一言も話しかけられた記憶がない。
別にご老人の雑談に付き合うのは仕事に含まれていないので構わないが、まあ不愉快ではある。
件のミスで嫌われとるんやな、くらいにしか思ってなかったが後から思えばご高説の際に寝てた時点から嫌われていた可能性は大いにある。
兎にも角にも毎日が地獄だった。
仕事の量ではなく環境が。
むしろ仕事は意識高い系のお気に入りちゃんより少なくされていた。
サンキュー糞部長。
忘年会はそこそこ楽しかった。
五日間程度の年末年始の休みはあっという間に過ぎ去った。
正月が明け仕事に行きたくなさすぎて頭がおかしくなりはじめた。
それまでもずっと辞めたかった事もあり、いよいよ辞めたい事を伝える準備を始めた。
社内環境は私にとっては相変わらずクソだった。
クソ寒い中支店の手伝いをやらされた。
インフルエンザにかかりたいと毎日毎日、心底思っていた。
でもクソババアやクソ社長と同じ空間にいる時間が少ない分少しだけマシだった。
しかし本社の屋外イベントに駆り出された日は最悪だった。
これはこれでブチ切れたい話があるので、別で書きたいと思う。
相変わらずトイレで毎日泣いて、腕を掻きむしって殴って頭を叩いてどうにか動いていた。
家に帰れば毎日ヒステリー。
我に帰ると母に申し訳なくて死にたくなってまた腕を掻きむしった。
そんな毎日を過ごし、一月のいつだったか、上の人に辞めたい旨を伝えた。
言葉にしただけで涙が溢れた。
まず、課長と相談して、もう一度考えてみてくれみたいな話だったと思う。
散々考えたわどアホ。
この課長はいい人だったからそこまで憎んじゃいないが、早く辞めさせてほしかった。
そして再度相談、漸く部長に伝えておくからという運びになった。
ここまでで1ヶ月はかかっている。
それまでの間は、私全然平気です、みたいな顔して働いていたと思う。
そういう人間嫌いだ(笑)
そして謂わばXデー。
二月の下旬、休み明けに痛い腹と重い体と痛い頭と吐きたい気持ちを携えてどうにか出社した。
机に置かれた仕事の山に絶望した。
そんなつもりはないのに涙が止まらなくなった。
あー、無理なやつやこれ、と思い、課長に体調悪いので帰りますと伝えに行ったら行ったでまた涙が止まらない。
係長に気付かれて、めっちゃ泣いてますよと言われる課長。
課長どんだけ忙しいんだよ。
死ぬなよ課長。
ここからはトントン拍子、とはいかないが部長と話し、とりあえず休みなよということで2日くらい休んだ。
それで1日出て何故かまた休まされた。
そして急遽旅行に行った。
旅先で色々考えた。
辞めたら辞めたで大変だな、と。
だけどもう続ける自信もなかったので辞めるという意思は固かった。
実はハローワークで紹介してもらった会社だった。
だから仁義ではないが、一応報告に行った。
口を揃えてさっさと辞めろと言われた。
その中で一番心に残っている話が「あなたが入社する前はその人数で回っていたのだから、あなたが辞めたところで会社は潰れたりはしない。そもそも自分の会社でもあるまいし、そんなこと気にする必要はない。さっさと辞めたほうがいい。」といったものだった。
凄く気持ちが楽になった。
元より自分がいなくなった後の会社の心配なぞ、してはいなかったが。
そんなこんなで念願の退社の運びとなった。
後から思うとたぶん鬱病だったと思う。
折角だから医者行って書面とかもらえばよかったのかな?
でもそんなこと考える余裕もなかった。
もっとボロクソ言って辞めてやりたかったけどそんな余裕もなかった(笑)
辞めてしばらく経った今でも燃やしてやりたいくらい憎い。
しかしそろそろこんな自分はダサいしお寒いので終わりにします。
なんでそんなに憎いかというと、お陰様で正社員として働くこと、会社に属するということがトラウマになってしまい、結局のところ暫くは就活もせずにコンビニのアルバイトで食いつないでいたからだ。
結果、奨学金やら税金、年金やらの支払いがとてつもなくキツかった。
色々やり方はあるはずなので、ちゃんと調べなかった愚かさが憎い。
追い込まれると人間は正常な判断を失うのだろう。
私はなんとか生き延びたが、今日もどこかで仕事を苦に死のうとしている人はいると思う。
そんな人がこんな駄文を読んでいるとは到底思えないが、死ぬよりは生活キツくても生きていた方がマシだ。
私は今、正社員でもなくボーナスも出ないが、趣味を満喫する時間も出来たし幸せだと思う。
仕事を辞めることは悪ではない。
逃げることは悪ではない。
周りはもっと辛いとか、お前には他人の気持ちはわからないし、他人にもお前の気持ちはわからないので、比べるのは無駄です。
自分が辛かったら逃げていいと思います。
それでは、過去の私が成仏してくれますように。
さようなら、過去の私。
お疲れ様、過去の私。